聖句 - 図書館横のプレート -

出典: 聖路加看護大学史編纂資料室

聖路加看護大学図書館入口左側には、新約聖書のピリピ人へ手紙の一節が書かれたプレートがあります。

図書館横のプレート

「私はこう祈る あなたがたの愛が 深い知識において 鋭い感覚において いよいよ増し加わり」― ピリピ人への手紙[1] 第一章九節 ―[2] 

目次

聖句出典

これは新約聖書の一節で、「大切なことを識別できるようになりますように」と続きます。ピリピ人への手紙はパウロによって書かれたものです。この手紙は大きく分けて、ピリピの教会からエパフロジトが持参した「贈り物」に対する「感謝とフィリピの人々のための祈り」にはじまり、「知らせと指示」、「警告と勧告」、再び「贈り物に対する感謝」という構成で書かれ、プレートの一節は「フィリピの人々のための祈り」の部分です。

抜粋された聖書は口語訳です。新改訳では、「私は祈っています。あなたがたの愛が新の知識とあらゆる識別力によって、いよいよ豊かになり(、)」、新共同訳では、「わたしは、こう祈ります。知る力と見抜く力とを身に着けて、あなたがたがの愛がますます豊かになり(、)」。となっており、言い回しが若干異なっていることがわかります。


設置の経緯

 聖句の設置に際して、故檜垣マサ教授日野原重明前学長は、新病院建設案の検討が始まり、病院・大学不動産開発計画合同委員会が組織された当時から、委員として参加されました。当初、原文と日本語訳をプレートに入れることは決まっていた様子でしたが、これをフロント上部にステンドグラスで刻む予定でした。ラテン語を使うか、ギリシャ語にするのかは決まっていませんでした。
 2つの句を花文字にしてキリスト教のシンボルのブドウの図柄の間に入れ込むようにということは、製作者、鈴木幸江氏と、共同制作者の戸田倫子氏に伝えてあったようです。花文字ならば、ラテン語の方が芸術的であるし、キリスト教精神に基づく学問の場には、ラテン語が適当ということになりました。 ラテン語では、caritas vestra magis ac abundet in scientia et omni sensu と表されます。この句をブドウのデザインの中に入れたいという思いを残したまま、檜垣教授は1994年の1月に亡くなられました。その後もチャプレンや建設委員会、製作者、図書館を含む会議が何回か開かれ、最終的には日本語の聖句のみをプレートに刻むこととなりました。
 檜垣マサ教授は1980~1988年の間、図書館長を務めるなど尽力し、最初の正式会議の時には、設計図を基に工作用紙で立体模型を作って臨むなど多くの勢力と情熱を注いでおられました。


聖句と聖路加看護大学の理念

当時キリスト教宣教師として来日した聖路加看護大学創立者であるルドルフ・B・トイスラーは、キリスト教の愛の精神を医療に反映させることをめざしました。看護を志す人々が、より豊かな知性と感性をともに追求し、看護専門職者として成長することをなによりの目的としたのです。これはこのプレートにもなっている新約聖書ピリピ人への手紙第1章9節〜10節(「わたしはこう祈る。あなたがたの愛が深い知識と鋭い感覚においていよいよ増し加わり、それによってあなたがたが何が重要であるかを判断することができますように」)という箇所からもうかがうことができます。また、このことは現在の教育理念となっている「知性と感性と愛のアート」という言葉にも反映されています。人種や信条をとわず人を愛し、相互を理解するためにさまざまな領域に積極的に参加し看護を通して公共の福祉を推進していく人材を育てていこうとすることは今も昔も変わらない理念として存在しているのです。


ピリピ人への手紙

ピリピ(場所)はパウロが最初に福音を述べ伝えたヨーロッパの都市です。ピリピ教会はパウロが2回目の伝道旅行の初期にヨーロッパに建てた教会でした。福音書の1つと使徒の働きを書いた医者ルカは、最初の6年間この教会の牧師だったそうです。   「ピリピ人への手紙」は、パウロとテモテから、マケドニア地方の古い町、ピリピにいるイエス・キリスト聖徒たちや監督たち、執事たちへ送ったものです。

パウロがマケドニア地方のピリピを訪れたのは、紀元前50年から53年にかけて行った、第二回の伝道旅行の際でした。ピリピは紀元前48年から行った第一回の伝道旅行から、第三回伝道旅行を終えた紀元前58年までの約10年間に、それぞれの教会の信徒たちを教え導くために手紙を書いています。そして、それが「パウロの手紙」[3]として、新約聖書の重要な一部分になっているのです。

聖書に書かれているこれらの手紙は、その宛先となっている教会や信徒が抱えている問題に対して、パウロが指導するために書かれたものです。そのため、抽象的に、信仰の問題を論じているのではなく、ただ単に事務的なことを書いているのでもありません。つまり、『パウロの神学』と呼ばれるような、深い信仰の思想がそこに書かれているのです。だからこそ、これらのパウロの手紙は、聖書として、今日でも信仰生活の拠りどころとされているのです。

パウロははじめ、ピリピで迫害されていましたが、(使徒16章22~40節)その努力が報われるようになります。福音をここほど寛大に受け入れたところはなかったのです。ピリピ人はあらゆる場面で非常に寛大な態度を示したので、パウロは彼らの施しだけは受け取っています。(ピリピ第4章18節)[4]。そのことから、パウロは、ピリピやその土地の人々に対して、また別の想い入れがあったものと考えられます

脚注・引用文献

[1]^パウロは度々、手紙の冒頭や文中などで、「祈り」という言葉を使っています。なかでも、4つの祈り(エペソ1章16節から23節、3章14節から19節、ピリピ一章9節から11節、コロサイ人への手紙1章9節から12節)は、特に美しいと言われています。

[2]^パウロによって、イエス・キリスト聖徒たちや監督たち、執事たちへ送られた手紙。パウロの手紙として新約聖書に収められている手紙は、13通ありますが、そのうち、すべてがパウロによって書かれたわけではないという説もあります。

[3]^「わたしは、すべてのものを受けてあり余るほどである。エパフロデトから、あなたがたの贈り物をいただいて、飽き足りている。それは、かんばしいかおりであり、神の喜んで受けてくださる供え物である。」

[4]^「フィリピ人への手紙」と同意。



参考文献

発行者・三木章(昭和56年10月31日第一版)『図説 大聖書 第6巻』 発行所・株式会社講談社(2152頁)

著者・佐古純一郎(1978年)『聖書をどう読むか』  発行所・株式会社大和出版 (214頁)

『聖書 新改訳』(昭和46年6月1日三刷)発行・日本聖書刊行会 

『聖書 口語訳』(新約聖書1954年改訳)発行・日本聖書協会 

『聖書 新共同訳』(1987年)発行・日本聖書協会

著者名・助川尚子 六本木淑恵(1998年)「聖路加看護大学新図書館の構想とその実現」『聖路加看護大学紀要』24号(66頁~71頁)

パウロの祈り(2009).女子パウロ会編.(56頁).

『聖書パウロ書簡Ⅲ 原文校訂による口語訳』(2002年) 発行・フランシスコ会聖書研究所 (74頁)

学園ニュース 205号,216号(1994)

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