聖ルカ礼拝堂

出典: 聖路加看護大学史編纂資料室

概要

聖ルカ礼拝堂[1]は、キリスト教の中でも英国国教会の流れを汲む、カトリックとプロテスタントの中間・中道とも位置づけられる日本聖公会に属します。米国聖公会や米国市民からの精神的、財的、信仰的な寄付により1935年(昭和10)8月着工後、翌年11月に竣工、12月に聖別され使用に供される事となりました。

キリストの存在を指し示す礼拝堂

米国聖公会から宣教医として来たトイスラー先生は「チャペルは本院のハート(心臓)である」と常日頃言いながら、完成を見ずして逝去しました。その建設は病院の医療遂行面と同様に細心の注意を払って計画され、近代ゴシック様式によるデザインは、先生の意向通りの宗教建築らしい荘厳さと威容を誇っています。単に身体だけではなく、心を含め全人的に癒されることを意識した時、キリストの存在を指し示す礼拝堂がこの病院に必要だったのでしょう。

特徴

旧病院三階から六階までの各階から、バルコニー越しに礼拝を可能にしている多層会衆席は独特のもので、入院患者は各階から自由に礼拝に参加することができました。隣の区画の新病院からも、ブリッジを渡ってまで礼拝堂に来る患者も少なからずあり、現在あるいは過去に聖路加と繋がりをもつ人々を中心に、日曜日の礼拝は今もなお護られ続けています。それだけではなく、病院、看護大学のスタッフや学生・卒業生の結婚式や、聖路加と何らかの関係がある人々の葬儀なども執り行われております。  ステンドグラスはすべて、J・V・W・バーガミニー氏が原寸図面を描き、その図面をイギリスのペリキントン社に送り注文したとあります。そしてその組み立ては、東京尾山台の別府ステンドグラス製造所にて行われました。  1930年(昭和5)より設計管理者として入ったこのバーガミニー氏は、米国聖公会の設計技師として来日され、立教女学院やユニオン・チャーチ(青山参道)なども手がけています。また別府一族は1907年(明治40)頃からこの仕事に従事し、礼拝堂の仕事は初代と二代目、1977年(昭和52)の修復は四代目によるものです。色彩鮮やかな九面の薔薇窓のほかに、縦長のランセット窓には、聖ペテロ、聖アンデレ、聖ヨハネらの使徒たちや、イエス、魚、雄鶏、船、錨、貝、星、葡萄などの様々なシンボルが配され、神秘的な『光の芸術』です。 十字架の塔からは、一日三回、鐘による聖歌のメロディーが流れています。このカリヨン・チャイムは、1962年(昭和37)に日米両国民の親善の証として、米国聖公会の有志より寄贈されたものです。その後、1987年(昭和62)と2008年(平成20)にリニューアルされています。(米国Schulmerich社製)  礼拝堂に通じる中央ホールの廊下には真鍮のプレートがいくつか埋め込まれています。そのうちの一つは、羽のついた杖に二匹の蛇が絡んだデザインのもので、医術を表すシンボルです。他に七枚のプレートがあり、そこには伝染病をもたらす動物などが描かれています。フェニックスは病気の回復、アラジンの魔法のランプは迷信を戒める、タルバカンはペスト菌を介在する巨大ねずみ、鯛は傷みが早い食品、ネズミ、オウムは伝染病をもたらす動物、天秤は薬学などの意を表しています。これらの伝染病を運ぶ動物は病院の大敵でした。そのため、廊下にプレートを埋め込んで、病院職員が足で踏みつけて歩き、厄を祓うというものでした。  礼拝堂に入って後方を見上げると大きなパイプオルガンがそびえ立っています。聖ルカ礼拝堂オルガン委員の中村ひろ子さんは次のように話しています。「これは1980年(昭和55)から7年間病院長を務めたルカ野辺地篤郎先生(1919-2008)のご尽力で、1988年(昭和63)に設置されたものです。フランスのガルニエ・オルガン工房にて製作された北ドイツ・バロック様式。三段の手鍵盤と足鍵盤をもち、2077本ものパイプを備えています。2003年(平成15)の改修により音色に一層円熟味が加わり『礼拝堂の音響特性とも相俟って、重厚感がある上に、繊細でバランスの良い音色』であると、レコーディングエンジニアの鈴木数秀さんは述べています。主日やクリスマスなどの礼拝だけでなく、病院や看護大学の感謝礼拝、第一水曜日の『夕の祈り』でも美しいオルガンの音色が響きます。元ニューイングランド音楽院教授の林佑子先生が主任オルガニストを務め『St. Luke's』のオルガンは世界的にも知られています。」  実習中の学生やボランティアの方々が患者さんを礼拝堂にお連れすることも多く、オルガニストたちは、会衆席におられる方のことも常に思いながら弾いています。オルガンの音色に包まれて祈る患者さんの姿は聖路加ならではのものでしょう。聖路加の象徴とも言える、この礼拝堂をこれからも大切に護っていきたいです。

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