終戦直後の聖路加

出典: 聖路加看護大学史編纂資料室

GHQによる接収

1945年(昭和20)8月15日、第二次世界大戦が終結しました。それからまもなく、9月には、聖路加国際病院と聖路加女子専門学校の建物は、GHQにより接収され、米国陸軍第八軍第四二病院となりました。病院は、当時明石町にあった都立整形外科病院を借り受け、同年11月には聖路加診療所を開設して診療を開始しました。病床数25床と小規模ながらも、あらゆる病院機能を持ったモデル病院とされ、全国の病院管理の先駆的存在となりました。

休校から授業再開まで

教育施設としての建物を失った聖路加女子専門学校は当面休校となり、学校側の指示により学生たちは郷里に帰りました。しかしその年(1945年)の10月には、臨接する中央保健所の一部を教室として借り受け、授業を再開しています。学生の宿舎として、当時、明石町にあった松屋従業員宿舎を借り受け、宿舎に入らない学生は自宅、あるいは知り合いの家から通学していました。  1946年(昭和21)6月、聖路加女子専門学校は、当時、渋谷区宮代町にあった日本赤十字中央病院内に場所を移し、日本赤十字社救護看護婦養成部との合同教育を開始します。この機関は東京看護教育模範学院と呼ばれ、GHQの発案および指導によって設置されましたが、戦後の新しいカリキュラムを試行する場として、また看護学校の模範(モデルスクール)としての目的と役割がありました。東京看護教育模範学院としての教育は、1953年(昭和28)7月まで続きました。  1953年(昭和28)2月、聖路加国際病院の一部(木造の旧館建物)が接収を解除されて返還されました。病院は、早速、140床を擁する施設として改修工事に取り掛かり、徐々に病院本来の業務を取り戻しはじめました。  一方、渋谷宮代町の日本赤十字社中央病院にいた学生も築地に戻り、改修された木造教室で授業を受けるようになりました。  それから3年後の1956年(昭和31)、約11年の年月を経てようやく、聖路加国際病院と聖路加女子専門学校のすべての建物が返還されました。

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