米国聖公会との関係

出典: 聖路加看護大学史編纂資料室

目次

深い繋がり

聖路加看護大学と米国聖公会との関係は、例えて云えば親子の関係だと云うことができます。それは米国聖公会が本学と聖路加国際病院を含む聖路加メディカルセンターの生みの親であり、歴史的にも大変深い関係にあるからです。 聖路加病院での看護教育は、日本への米国聖公会の医療伝道の一貫で、米国聖公会の中国・日本での伝道活動の一環からはじまりました。ですから、米国聖公会の海外伝道活動がなければ、聖路加看護大学は存在しませんでした。

キリスト教伝道の考え方

日本での宣教には医療伝道が必要であると宣教医を米国聖公会本部へ招請したのは、1859年(安政6)にプロテスタント宣教師としては始めて長崎に派遣された、ウィリアムズ主教(Williams, Channing Moore)でした。彼は、3年間の中国と日本での多忙な伝道活動の後、1869年(明治2)には大阪で宣教活動を始めました。その後、1873年(明治6)11月に東京伝道のために上京し、築地居留地内に立教学校(後に立教大学)を創始しました。ウィリアムズ主教の日本における宣教活動の基本的な考え方は、「日本国民に神の福音を宣べ伝えて教化する」、つまり、日本人に直接的に教え導くのは、日本人の牧師であり、その日本人牧師を育成することが海外から来た宣教者の活動の中心であると考えました。 当時、日本における米国聖公会の宣教の拠点は、1874年(明治7)2月に築地居留地に立てられた立教学校と、その後1882年(明治15)に立てられた東京三一神学校でした。

米国聖公会の日本における医療事業への貢献

また、ウィリアムズ主教は、日本において、学校教育のみならず、医療福祉事業の創まりとなる事業のためにも宣教医を米国聖公会本部に招請しました。米国聖公会の日本における医療事業への貢献は、1874年(明治7)に宣教医ラニング(Launing, Henry)を大阪に、また1884年(明治17)にハレルを築地外国人居留置に派遣し、その地において病院や診療所を開設したことです。そして、1902年(明治35)には、トイスラーによって聖路加病院が開設されました。この聖路加病院の土地は、もともと、ウィリアムズ主教が私財を投じて購入されたことが書き残されています。このように、聖路加国際病院や聖路加看護大学は、米国聖公会の海外伝道活動によって創められました。また、看護大学を含む病院建設や礼拝堂建設の資金の多くは、トイスラー院長や、関東大震災で崩壊した東京・横浜YMCA会館復興のために来日し、後に、清里のキープ協会を創始したラッシュ(Rusch, Paul)氏が、米国の聖公会を中心として行った募金活動に寄せられたものでした。

日本聖公会の誕生

1887年(明治20)には、英国教会や英国海外福音伝道協会とともに、日本聖公会が設立されました。現在、日本聖公会は、米国聖公会と共に、世界にあるアングリカン・コミュニオン(Anglican Communion)のメンバーです。  トイスラー院長を派遣した米国聖公会の海外伝道の拠点はチャーチ・ミッション・ハウス(Church Mission House)でした。このチャーチ・ミッション・ハウスは、長い歴史を重ねて、今日は、アングリカン・アンド・グローバル・リレーションズ(Anglican and Global Relations)として米国聖公会と世界の聖公会と関係を持ち、さらに、ウォーキング・ツゥゲザー(Walking together)のプログラムとして世界で取り組んでいるニ一世紀開発目標活動を進めています。  今でも、聖路加とアメリカン・カウンシルとの関係は継続しており、その活動の一貫として、聖路加看護大学とヴィラノバ大学(Villanova University)との間で、学部学生の交換留学プログラムが実施されています。

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