由緒ある品々

出典: 聖路加看護大学史編纂資料室

目次

礎石と十字架

旧病院の礎石
大学新校舎の礎石

大学の玄関外壁、および大学と敷地続きの聖路加国際病院第一街区トイスラー記念館左側、およびチャペルに通じる旧病院玄関右側に礎石が置かれています。  現在の看護大学、および病院の敷地を含む明石町一帯は、明治初期は外国人居留地に指定されていました。明治時代の前半は、宣教師や宣教医師が次々と派遣され、いくつもの病院や薬局、学校などがこの明石町ではじめられました。  1859年(安政6)にハリスが港区元麻布の善福寺に米国公使館を開設しましたが、1875年(明治8)に築地居留地の明石町(現在の第三街区聖路加ガーデンのあたり)に公館を新設しました。花崗岩でできた石標には、米国のシンボルである星条旗や鷲のマークが彫られており、当時を偲ぶことができます。後に、米国公使館は1890年(明治23)に現在の元赤坂に移転しています。  米国公使館を含む明石町第三街区の土地一体は、聖路加病院拡張計画のため購入されたものですが、石標はその時に聖路加病院が譲り受けたものです。8個の石標のうち、3個は1984年(昭和59)に米国大使館に日米友好のシンボルとして寄贈され、残る5個は築地の居留地時代を伝えるものとして、中央区文化財に登録され、3個はトイスラー記念館前に、2個は聖路加ガーデンに移設されました。

 1930年(昭和5)3月28日に旧病院の定礎式が行われ、基礎石の一面に徳川家達公の揮毫(直筆)による「神の栄光と人類奉仕のため」(翻訳 東京帝国大学教授姉崎正治博士)が刻まれました。  第二次大戦中「神の栄光」と刻まれた礎石は爆撃の目標になるため、1944年(昭和19)に遮蔽されました。同様に、病院塔屋の十字架も切断されましたが、当時の信仰に対する外部圧力について、“竹田(1896-1978)チャプレンの苦悩は察して余りあるものがあった。竹田チャプレンと夫人は毎朝チャペルで二人きりで祈りを捧げることを続けられた”とその時の状況が聖路加国際病院100年史に書かれています。  1956年(昭和31)に病院の接収が解除され、同年9月18日に旧病院屋上で、十字架奉献式が行われました。礎石を遮蔽していた御影石も外され、前述したトイスラー記念館の左側に移築、保存されました。

 もうひとつの礎石は、本学一号館正面玄関左手側の外壁にはめ込まれています。この礎石は、1996年(平成8)9月14日に現在の聖路加看護大学新校舎の竣工を祝い、日野原重明理事長の手により直筆されたものです。本学の精神「知と感性と愛のアート」と記されているように、理事長の看護と看護大学に対する深い思いがこめられ、正に私達の看護の礎となっています。

図書館を彩る葡萄の意匠とナイチンゲールのステンドグラス

図書館入口の欄間には、ガラスに葡萄の意匠が施されています。これは、1996年(平成8)7月まで旧校舎の玄関ホールの欄間にあった木彫りの飾りから想を得ています。現在、この飾りは、図書館三階に掲げられています。葡萄は、緑陰で憩う人々を思い起こさせるためか、聖書の中では無花果と合わせて平和と豊穣の象徴とされ、記述として多く登場します(「聖書植物図鑑」大槻虎男著. 教文館、1992年)。「聖路加看護大学図書館のめざすもの」の一つに、安心して学ぶ環境をつくることがありますが、葡萄は、それにふさわしい意匠といえます。

また、館内の階段の踊り場には、大学のシンボルでもあるナイチンゲールのステンドグラスがあります。これは1996年(平成8)の校舎建築の折、檜垣マサ先生から寄贈されたもので、製作者は鈴木幸江さん(1971年卒)と戸田倫子さんです。檜垣先生は、この校舎建築のために参与として尽力されましたが、残念なことに完成を見ずに逝去されました。ナイチンゲールのドレスは濃い紫色で、よくみると白い襟には撫子のような花模様があります。撫子は校章の意匠の一つです。背後には光の輪があり、ラテン語で「光あれ」と書かれています。その周囲にも撫子が配されており、背景のガラスには葡萄の模様がみられます。  ステンドグラスは東に面しており、早朝、開館時の短い間だけ陽光が入り、ナイチンゲールがもつランプの赤い光が階下に映ります。夜は外から見上げると、室内の灯りを通して浮かび、一日の学びを終えて帰途につく学生を見送ります。

マントルピースと玄関の人形

聖路加看護大学の玄関ロビーでは、マントルピースとその上に「希望」と題した人形が来訪者を迎えています。マントルピースは旧校舎で使用されていたものを新校舎に移設したものですが、当初は新校舎の会議室に置かれる予定でした。しかし、大きさが合わず、一部を切断しなければならないこととなり、現在のロビーに置かれました(当時の総務課長 八坂ヨシエ氏談)。  マントルピースの上に飾られている人形は、昭和22年厚生科を卒業した鐸木能子(旧姓 細野)さんが本学の新校舎落成を祝い1998年(平成10)に贈呈して下さったものです。  鐸木さんは群馬県伊勢崎市の蝋燭問屋の生まれで、前学長 常葉惠子先生と同期生ですが、1965年以降人形作家になり日展会友、新工芸会員としてアーティスティックな創作人形を創る一方、伝統技法を生かした新しい気風の雛人形作家として活躍しました。  鳩を抱え、空を見上げている女性の人形像は、平和と希望を表現した作品で、伝統技法に加えた、鐸木さん独自の人形技法をみることができます。

鎌倉アリスの家のはじまりと新渡戸稲造夫人が愛用した椅子

新渡戸稲造氏<ref>1862年(文久2)盛岡市に生まれる。1877年(明治10)札幌農学校入学。クラーク博士の影響でキリスト教に入信。東京帝国大学およびジョン・ホプキンス大学で学び、農学博士・法学博士となる。第一高等学校長、東京帝国大学教授、東京女子大学初代学長、国際連盟事務次長、貴族院議員を歴任し、1933年(昭和8)10月カナダで客死。「農資本論」(1898年)、「武士道」(1899年)等の著書あり。</ref>は昔、トイスラー夫妻を鎌倉稲村ヶ崎の家に招き、「この家を病院の職員の安息所にしてはどうか」と話されたそうですが、当時は手が届きかねるといった事情があったようです。  その後、氏は、聖路加病院新館定礎式(1930年3月28日)への出席や病気治療を通じて聖路加とのつながりがあり、1939年(昭和14)に聖路加同窓生の休養所として新渡戸夫人の満里子(メリー・パターソン・エルキントン)さん<ref>フィラデルフィアの実業家の一人娘でアメリカ人。実家は敬虔な清教徒。遺産の1,000ドルを使い、いろいろな事情で就学できない児童のための遠友夜学校を夫稲造と共に開設(1894-1944)。稲造没後、1913年(大正2)まで二代目校長として学校を運営</ref>の住んでいた別荘を、建物と借地権含め7,500円で聖路加に譲渡しました。これが、休養所アリスの家です。建物は20年前のものであったため、当時としては大金の1,500円かけて修復しました。  高橋シュン先生が寄稿した聖路加看護大学50年史によれば、「アリスの家の維持には大変お金がかかり、同窓会にアリスの家復興委員会がおかれ、バザーを度々開催して、屋根や垣根等の修繕費用に充て、同窓会からも台所の整備費等を寄贈していました。また、土地が売りに出されたこともあったようですが、先輩達が苦労して手に入れた家であったため、手離すことはしなかった」と記されています。  アリスの家の名前は、学校と看護師のために絶えざる指導と熱心なる後援を続けられたミセス アリス・セントジョン初代主事を記念してつけられました。聖路加幼稚園を開設し、専門学校の分校として1947年(昭和22)には育児科の実習場ともなりました。その後1960年頃、大学が買い取り、二号館として同窓生のアリスの家が建築され、2000年(平成12)には全面改築されています。  大学旧校舎には、新渡戸稲造夫人が愛用したと伝えられる藤製の大きな椅子があり、学長室に続く廊下に置かれていました。新校舎移転の責任者であった現学部長菱沼典子教授によれば、籐の椅子は傷みがひどく、新校舎では使用できないと判断して移転の時に処分したとのことです。

昭和初期に製作されたブロンズ製の窓枠の再生

大学旧校舎の正面玄関の上には、建物の二階から三階にかけての外壁にブロンズ製の壁飾りがありました。当時の校舎の正面写真には必ず映り、また現在大学の玄関ホールに飾られている校舎風景の油絵にも描かれています。  この壁飾りは、旧校舎落成時の1933年(昭和8)に設置され、旧校舎の二階スタディルーム、三階第二教室の窓を覆うほどの大きなものでした。現在では作ること自体が難しいものです。アールデコ様式は、1925年(大正14)パリで開かれた国際装飾芸術博覧会をきっかけに世界中に広まった装飾で、流行の先端をいくデパートなどがすすんで取り入れたようですが、現在はほとんど姿を消しています。  窓枠は、旧校舎を解体する時に取り外され、病院二階の図書室の外壁に移築されています。現在の建物ともよく調和し、76年経た今でも立派に青銅色を放っています。

旧校舎から新校舎に持って来た品々

大学の歴史を良く知る、前出の八坂ヨシエさんによれば、旧校舎で聖路加看護大学が大切に使用してきた次の品々を新校舎移転のときに運んできたとのこと。現在も使用されているものもあり、古きよき物の中には、今ではなかなか手に入らない物も含まれています。


サモワール: 卒業式翌日の卒業生と教員の祝会や、クリスマスの集いのときのみ使用され、教員が学生に紅茶をサービスしました。一台は炭、もう一台は電気で使うものです。現在二階の栄養実習室にありますが、修理が必要な状態です。


片肘椅子
教室の椅子:

木製の片肘椅子、および一部籐が編んである椅子は、主に教員の研究室でそのまま使用しています。


旧図書館のスタディルームの椅子: 現在、教員ラウンジなどで使用しています。


雑食器: 栄養実習という科目で、調理実習を行った際に使用していた食器類の一部を二階の調理実習室(学食)棚に一部保管しています。

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