学生寮・学生行事

出典: 聖路加看護大学史編纂資料室

目次

学生寮での生活

学生寮は、本学の前身である聖路加国際病院付属高等看護婦学校の創立とともに作られました。寮生活についてある卒業生は「まるで修道院のような管理された生活」と話していました。朝5時45分に起床し、洗面・部屋の掃除の後ユニフォームに着替え、朝食を摂って6時45分からの朝の礼拝を終えると、そのまま病院で入院患者のAMケア(洗面、歯磨きなどの介助)を行うことから一日が始まります。AMケアでは1学生あたり2名の患者を受け持っていました。その後、学校に戻って講義を受けます。講義中は、あまりの忙しさに眠たくなってしまう学生もちらほら・・・。そして、夕方にもPMケアを行います。19時からは舎監の先生を交えての夕の礼拝、21時半の消灯まで自習時間という日課でしたが、この時間だけでは講義や実習に備えた学習が終わらず、消灯後に光が漏れないようにドアの下に新聞などを差し込んで、舎監の先生の目をごまかす(盗電といっていました)という技を使っていた学生もいました。インスペクションと呼ばれた各部屋のチェック(整理整頓、ベッドメイキングや清掃状態)を教員と舎監の先生が毎週月曜日に行い、時には厳しいご注意、時にはお褒めの言葉がメモに書かれてベッドや机に残されていました。寮生活での時間厳守・環境整備・個人衛生といったことが看護教育の一環として考えられていたともいえるでしょう。

学生寮内の人間関係

寮での人間関係について見ていきましょう。先輩たちは後輩の面倒をよく見ました。入寮の日、新入生の勉強机に小花を飾り、ウェルカムメッセージのカードを贈るのは直上階に住む2年生の役割でした。新入生は、初めて見る洋式トイレや肩肘机、ベッドにカルチャーショックを受けることもありましたが、そんなときも上級生がやさしくフォローをしました。  このような厳しい生活を送っていくうちに、次第に時間の使い方がうまくなり、学業だけでなく、遊ぶ時間も作れるようになりました。寮の門限は19時半でしたが、あらかじめ届出しておいた出先のお宅の印鑑をもらえば、21時まで門限が延長されました。ただし、これも月2回まででありました。また、音楽会などに限り21時30分までの外出が認めれました。このような寮生活を一緒に送ってきた仲間とは、それこそ苦楽を共にし、同じお釜のご飯を食べた仲間として篤い友情で結ばれ、卒業後もずっと交友関係は続いています。


学生寮の廃止

しかしこうした学生寮も、大学になってから、次第に全寮制への疑問や日常生活の様々な規則に対する不満が大きくなり、やがて1976年(昭和51)には、全面的に廃止になりました。


白楊祭

白楊祭は、学生自治会が主催して行う大学祭です。1977年(昭和52)に「白楊祭」とネーミングされ、今年(2009年)で48回目を迎えました。各部活動、サークルの発表や外部からの講演を主催するなど、現在もなお学生自治会が主体となって運営を続けています。

体育デー

体育デーは、学生がとても楽しみにしている学内行事の1つです。以前(1996年現在の校舎が完成する以前)、大学での体育の時間は、校舎の地下1階にある狭い部屋で行っていましたが、決して満足できる状況ではありませんでした。1976年(昭和51)から学生全員が学年対抗球技試合に参加できるように半日の体育の時間を設けたことがきっかけで、1978年(昭和53)からは体育デーとして、中央区の体育館を1日借りて、全学生、教職員が参加し、学年対抗戦で競技を行う今のスタイルになりました。この日は1年のうちでもっとも学生が熱く燃え、結束力の高まる1日といってもよいでしょう。各学年は決められた色で作ったおそろいのTシャツを着て、体育デーに臨みます。以前、綱引きにおいて、明石小学校から借りた綱が競技中に切れてしまい、その後大学が購入したというエピソードもありました。体育デーは学生と教職員の委員が運営しており、委員は黒のTシャツを着るという決まりがあります。2009年(平成21)には、体育デー委員に初めて男子学生が入りました。また、同窓会から、体育デー委員会に“功労賞”の金一封が贈られるようにもなりました。

クリスマスの集い

全寮制の時代は、クリスマス礼拝とクリスマスの夕べの集いが必ず行われていましたが、寮生活が廃止されてからこの行事が一時なくなりました。しかし、1975年(昭和50)から大学として「クリスマスの集い」が再スタートしました。学生自治会とチャペルアワー委員が中心となって運営しています。クリスマスの集いは二部構成で、一部が礼拝、二部が茶話会と各学年や有志の出し物を行います。教職員も出し物をします。最後には日野原重明理事長の指揮のもと、ハレルヤコーラスを全員で大合唱します。笑いあり、涙ありの素敵な集いです。

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